あやうく一生懸命生きるところだった

小学生の頃、国語の授業で「ここ読んでください。」とみんなの前で音読をさせられると、いつもつっかえつっかえになり、スラスラと読めないのが恥ずかしかった。

みんなの前で間違えたくない、と意識を巡らせすぎていたのもあったと思うが、スラスラと滑らかに音読をするクラスの友達が羨ましかったし、「ああ、私は文字を読むのが苦手なんだな」と思っていた。

今思えばそういう幼い頃の考えが原因で、どんどんと読書から距離を置くようになっていた。パートで地域の図書館司書として働く母に私は似なかったのだなと思っていた。

 

最近、仕事への疲れから安らぎを求めて代官山の蔦屋書店にふらっと寄ってから、改めて本屋の心地よさと、本を読む面白さに気がついた。

 

「あやうく一生懸命生きるところだった」

文・イラスト ハ・ワン

訳 岡崎暢子

http://amazon.co.jp/あやうく一生懸命生きるところだった-ハ・ワン/dp/447810865X

 

私は都内のCM制作会社に勤めている。

新卒で入社し今年の春で4年目になろうとしている。今までは仕事をしている自分をそれなりに大切にしていて、生活=仕事、辛いことの連続でもきっと報われる、もう少し、もう少しと続けてきた。

けれど、つい最近そのピンと張り続けていた糸がぷつりと切れてしまったようだ。

今の仕事を辞めようと思う。

 

辞めようと思った理由については別の機会に書こうと思うが、この本はそんな私にぴったりの本だった。

終身雇用という言葉がある一方で(もはや廃れつつ考え方ではあるが)、3年なんてちっぽけな期間だが、それでも私なりにずっと一生懸命こなしてきた3年間だった。

そして疲れてしまった。

著者は、今必死になって一体どこへ向かっているのだろうか、と考え結局わからなくなった。

それが原因で仕事をいきなり辞めるのだ。

 

続けていればいつか何かを手にするかもしれない、名声も得られるかもしれない。

けれど、いくら続けてもそんな予兆はなく、お金さえ貯まれば〜がしたいと夢見てもお金は一向に貯まる気配がなかった。

 

「努力を続ければ必ず報われる」というその言葉が間違えで、「努力を続けても報われない時もある」が正解なのだと。

だから、いつかはと夢見てがむしゃらに続けることはある意味ただの執着であり、執着になってしまっては消費するのは貴重な時間だけであり、諦めることもまた勇気、大事なのだと著者は言う。

 

私が仕事を続けてきた理由もまた執着だ。

未確定の未来と、今の環境への執着だ。

 

そしてまた言っている。一生懸命にやるから期待通りの結果が出ず落ち込む。もう少し、「自分はこれくらいなのだ」と受け入れて肩の力を抜く方が楽しいと。結果が全てではなく、その過程を大事にすれば、もっと些細なことを幸せに思えるし、それこそが幸せな生き方というのではないか、と。

 

まさしくだった。

 

一生懸命に生きるのは素晴らしいが、それで結果もついて来ず、力尽きてしまえば元も子もない。

少し肩の力を抜いて、単純に自分が楽しいと思う方に素直に進んでも、もう少しわがままに生きても良いはずなのだ。

日頃言うじゃないか、日本人は働きすぎだと。まさしくだ。

 

結局自分の幸せの価値観なんて自分にしかわからないんだし、自分を幸せにできるのもやっぱり自分なのだ。

「見返りを求めず、時には潔く諦め、ありのままを楽しむ。」

新しく掲げる私のモットーである。